世界を巡る中で、身体のプロの中でも大きな違いを発見しました。それは…GOODとGREATの差。
特に、世の中にはGOODは多くいるのだけれど、GREATがほぼいないんです。残念ながら、特にニッポンには。
教育現場においての正解依存(依存症)、メディアコントロールによる情報操作、詐欺が一番優先される資本社会。その結果として、固定されたひとつの答え、そして考えさせられなくされた。”洗脳”のせいでしょう。”本質を追究する眼”を潰され、”人間の感覚の刺激”を乏しくさせ、”記憶装置”を短期に移し替え、元ある装置は崩壊されているのでしょう。
『自分の体験と学問の範囲で物言いをする』、これが現代社会に蔓延る現状です。ただ、そこの眼で見えない壁をどう攻略していくのか、をGREATで眼がある人と共に。
『カラダ』は、100人いたらそれぞれで違うし、毎時間のように変化していくものです。根本的な解決は自分で見出す。そして、自立していく。自分自信をコーチングできる存在となる。それができていない人が増えました。専門家も増えました、そして、問題もどんどん増えています。
一つ一つの経験や知識、専門性はある大きなマップの中のほんの片ピースでしかないんです。身体にまつわるありとあらゆる角度から観察し、洞察していくことが大切。プロとしてGREATとして大事なのは、ちゃんと見極めているのか、根本的な解決に至っているのか、そしてその人にあるビジョンを見出し価値の共有をできているのか。本質を見極められる眼を持たないとですね。
「ハンマーを持っている人は、すべてが釘にしかみえない – If all you have a hammer, everything looks a nail」そのそれぞれで持っているハンマーを置く勇気を。
これから出会う一人一人を大切にし、お互いの良き共生を創り上げていく、これ以上に大切なことはないと想います。
人生に目的を持ち、自分の道を定め、それにたどり着き、その先にまた道を創る。人生を全うとは、こんなことなのでしょう。
*體は元ある漢字であり、身体の軸や芯となる意|*身体は体・心・精神・地位・身分・立場などの総意|*カラダはそれぞれのイマジネーションの中で|*体は固体や肉体としての意|*他に躰は体幹。軆はありさま。軀はむくろ=屍の意
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